3:7 in : out, アウトプットはインプットの2倍以上にせよ

   

アウトプットが大切、という本を読んだ。

確かアウトプット大全?という名前の本。

 

・インプット3に対し、アウトプットは7が良いらしい

→だからこのブログをそのような場にする。

 

・箕輪さんという方の本が非常に刺激になった。

→日常がつまらないということが、恥ずかしくなった。

 

日常が最近、当たり前にあふれ、しかも悪いことに

そのことを変えようとせず

 

なんとなくそんなものさ

 

と、明日になるまでに、予想できないことがないだろう、と思い込んで生きている

 

こんなのはつまらない

 

 

違和感を大切に

勘違いを大切に

 

行動を大切にまたあらためて生きたい。

 

 

俺が書きたいことはなにか?

きっと、主役思考での生き方だろう。

 

些細なことでもかまわない

アウトプットもせずに一日を終えるよりはよっぽどいい

 

 

それに、どこかでとても、発信したがっている自分もいる。

 

 

なぜなら、どうも人々に違和感を多く感じるからだ。

 

俺も日常について、陥りがちだが

みな、この世界、この宇宙、この物理空間について、当たり前だと思いこんでいる。

 

その中で、当たり前に、無数の存在者のうちの一人であるのを当たり前だと思いこんでいる。

 

 

科学は、観測と実証を繰り返し?

人類の知恵として、たしかに客観的に、うまくまとめられている

 

それを今日もアップデートする人たちがいて

大衆もそれを取り入れられるようになっている。

 

なるほど、科学的な知識は客観性があるのかもしれない

 

ただ、この人生そのものときたらどうだ

 

そもそも、いつも主役としているのは

この決まりきった自分だし

 

この文章を読んでいる人にとっては

その読者でしか人生を送ったことがない。

 

それなのに、なぜかその他の多くの人たちと自分を

全く同じ部類のものだと

簡単に信じて

 

「こんなものよ」と

世界の脇役として、平気でつまらない日常に甘んじている

 

 

そうしてそれは、罠だとしか思えない。

 

俺もはまりがちな、罠

 

「子供は親を選べない」など言うが

 

誰も何もかも選べずに、今日を、あてがわれた環境と主役で生きているに過ぎない。

 

 

そんな押し付けられたようなゲーム、

つまらないならやめちまえばいい

 

ただ、終わりはどうせくるという

 

だったら、おもしろくプレイしようとすることだって、おかしくはないはずだ

 

 

そういう気持ちで、

日々を

 

俺と同じように、自己と世界をあてがわれて、今日を楽しもうとする人へ向けて

メッセージをつづっていければと思う。

 

 

まぁ、自分が楽しみのがとにかく1番だ。

 

ただし、俺が自分と呼ぶものなんて

「存在者」程度の意味しかない

 

俺が今、この文章を偶然読んでいるあなたに生まれていたならば

俺が貴方の人生を今日、楽しむだけだ。

 

俺も誰も変わらん

 

このゲームは楽しんだ方がいい

 

 

そうして、脇役に甘んじて死を待つ奴らとではなく

主役としての存在者を、仲間にしたい。






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