離人症が治った私の体験談。病院や薬と無縁で克服した治し方。より根本的な心の問題とは?

      2018/12/11

この記事は、離人症と診断された方、あるいは診断されたことがなくても、離人症/現実感消失症の症状に該当していると自分で思っていて、離人感、現実感消失のせいで苦しんでいる方へ向けて役に立ちたいという思いから書いています。(身近な方が悩んでいる方にとっても、意義のある文章であると思います。)

 

▼目次

  1. 私は元離人症患者です
  2. 離人感で悩んでいた自分が今は幸せ
  3. 私にとっての離人症の克服
  4. 離人症の克服に役立った考え方
  5. 離人感のメリットと利用方法
  6. もっと根本的な心の問題

 

私は元離人症患者です

 

私自身の離人症についてお話致しますと、中学の途中から症状を自覚しており、10年くらい悩み苦しんでおりました。

 

当時の私自身の言葉で言うと

 

・自分が自分では無いような気がする

・自動的に自分が動いている

・現実感が失われてしまった

・感覚や感情が、自分のことじゃないような気がする

・全てを客観的に見てしまって、つまらない

・何をしても心の底からの感動にならない

・自分は、常に自分のイメージを捉え続けているプログラムのようであり、感覚がぼけている。

 

というような経験をしていました。

 

 

医学マニュアルとして有名なMSDマニュアル家庭版には、離人症に関して下のような症状が記載されており、当時の私が自覚していたものと酷似しています。

離人症の症状と現実感消失の症状

離人感の症状としては、自分の精神、精神、感情、感覚などから自分が切り離されているような感じがします。また現実感がない、あるいは自分がロボットのように感じられ、自分の言動を自分でコントロールできないと訴えることもあります。感情的または身体的に麻痺しているように感じることもあります。このような人は、自分の生活を外から観察している、あるいは自分のことを「生ける屍」などと表現することがあります。

現実感消失の症状としては、外界(人、物、あらゆること)から切り離されているように感じられ、外界のことが現実ではないように思えます。自分が夢や霧の中にいるかのように、あるいはガラスの壁や幕によって周囲から隔てられているかのように感じることもあります。世界が生命感や色彩を失ったように思えたり、人工物であるかのように感じたりします。世界が歪んで見えることもあります。例えば、物がぼやけて見えたり、異常に明瞭に見えたり、実際よりも平板に見えたり、現実と異なる大きさで見えたりします。音が実際と異なる大きさで聞こえることもあります。時間が現実とは異なる速さで経過しているように感じられることもあります。

離人感/現実感消失症 – 10. 心の健康問題 – MSDマニュアル家庭版

 

 

私は離人症という言葉を高校1年生の頃にTV番組で偶然に知りましたが、とにかく私本人としては中学の途中から二十歳くらいまで、上のような「離人症の症状のせいで自分は不幸」だと強く思っており、明らかに勉学や仕事に支障がありました

 

毎日のように悩み苦しんでおり、うつ病のような状態の時も多く、「今ここに、押すだけで自分と世界が消えるボタンがあるなら、今すぐに押したい」とずーっと思っていました。

 

自殺未遂も経験しましたし、自傷癖もあり、今でも当時自分を傷つけた傷跡が残っています。

 

 

 

 

当時の私としては必死なもので、「離人症を克服した」「離人症が治った」という人の情報を、まだ普及し始めたばかりのインターネットで何度も探しました。

 

ですが、「年齢とともに改善する傾向がある」というような記述は見つけられたものの、具体的にピンとくるような「こうしたら治るんだ!」というような教えや、体験談が見当たりませんでした。少なくとも参考になったサイトなどは、記憶にありません。

 

「離人症は実際は治らないのではないか?」

 

「年齢と共に改善するというのも、人生をあきらめてしまうような人が多いだけで、別に誰も本当は治ったりしない、とんでもない精神病なのではないか?」

 

そんなことを思って絶望したことを覚えています。

 

 

離人感で悩んでいた自分が今は幸せ

 

そんな私は、今は「治った」と言える状態にあります。

 

今は人生が毎日楽しく、自殺してしまうなんてもったいない、と本気で思っています。

 

全く別人のようです。

 

 

もちろん、良いことも悪いことも起こる人生ですが、とにかく気分よく、上機嫌でいられる時間がとても多いです。

 

そして、いつも静かな自信があります。

 

今、自分が「このおかげで幸せだ」と思って感謝している対象が、もし全て無くなってしまったとしても、必ずまた、すぐに幸せな状態に戻ることになるだろう。あるいはそのおかげで、もっと良い人生になるのだろう。

 

そんな風に本気で思えています。

 

 

だからこそ、幸福感が高い状態が続いているのだと思います。

 

 

離人症は全くもう問題ではないどころか、そんなことで苦しんでいた過去が長くあったことさえ普段は忘れています。

 

「こんな素晴らしい未来がお前にはあるんだよ」と、当時の悩み苦しんでいた自分に知らせてあげられることができたら、どんなにか希望を与えてあげられることでしょう。

 

もし当時の自分に本当に会えるなら、自分の経験から得た知恵や、実際に役に立った考え方なんかを伝えることで、一刻も早く、不幸だと思っている状態から抜け出す手助けをしたいです。

 

 

このような思いで、今日も離人症に苦しむ誰かへ、意味のあるメッセージを私に発することができるならば、と、この文章を今、綴っています。

 

 

 

もちろん、私にとって良かった考え方が、全ての離人症に苦しむ方に意味があるなどと言うことはできません。

 

しかも心のどこかでは、「医療関係者でもない自分が、偉そうにこんなことを言ってもいいのか?」と思ったり、どこかの誰かには「完全にお前は間違っている!そのようなことを言うのをやめろ!!」と否定的なことを言われるかもしれないと、臆病に思う気持ちもあります。実際に批判や非難をする人は、探せばちゃんといて下さるでしょう。

 

 

でも同時に、人によっては、私の文章が離人症を克服するきっかけになることだって、十分にあり得るだろうと本気で思っています。

 

ですので、私の臆病のせいで、そのきっかけが世の中に少ないままであるよりは、「良い影響があるかもしれないのだから、とりあえず書いておこう!」という気持ちです。

 

 

 

私にとっての離人症の克服

 

さて、肝心なこととして

 

私は離人感がもう完全に無いのでしょうか?

現実感消失の感覚はもう消えうせたのでしょうか?

 

 

 

いいえ、実はそうではありません。

 

 

がっかりした方もいたかもしれませんが、これが正直なところです。

私は、離人症を克服した、治った、などと言っていますが、離人感が全てなくなったとは思っていません。

 

 

 

 

ただし、離人感があるのかないのか、現実感が十分なのかどうか、「気にしない時間が圧倒的に多くなった」ということは言えます。

 

 

離人感に苦しむ方の中には「なんだ、治ってねえじゃんコイツ・・・」というように落胆されてしまった方もいるかもしれませんが、参考にはして頂けるのではないか?と思うのです。

 

 

例えば、1年後の自分が、「悩みの種だったこと自体が完全に無くなったわけではないけど、もうそれについては悩んでなくて、とにかく毎日とても幸せだよ」と言っているのであれば、それだけでもう十分に素敵な未来と呼べないでしょうか?

 

 

誤解を恐れずに極端な言い方をすると、離人症が治ろうが治るまいが、当人が幸せなら、どちらでも良いと私は思っている人です。

 

・離人症は治ったが、不幸

・離人症は治ってないかもしれないが、毎日が幸せ

 

あなたはどちらの人生を送りたいでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

なぜ上のようなことを強調して言っているのかというと

 

当時の「離人症だから不幸」と思っていた自分には、離人症を治さずして、幸せになる道は無いと本気で思っており、この考え方にとらわれ過ぎていたがゆえに、今の幸せな日常を手に入れるのが何年も遅くなった、と思うからです。

 

「離人症だから不幸」という考え方に囚われることで、一番大切なことを見失っていたと思います。

 

 

 

一番大切なこととは、「楽しい人生を送る」ことです。

 

・幸せな人生を送る

・気分よく毎日を過ごす

 

言い方はなんでもかまいません。

 

とにかく「幸せな日々を送る」ことが誰にとっても一番の目的であるべきではないでしょうか?

もしそうであるならば、目の前のたまたま気になっている悩みの種(過去の私の場合は離人感)を無くすことが人生最大の目的ではないということを、きちんと認識することが重要だと思うのです。

 

 

繰り返しますが、当時の私は完全に「離人感があるから不幸」という思いにとらわれており

 

 

・離人感さえなくなれば、幸せになれるんだ

・離人感が無くならないのであれば自分は不幸のままだ

「離人症を治すこと、離人感を消し去るこそが今の自分にとって緊急で最大の目的」というように思っておりました。

 

 

 

ところが、私が今現在、「離人症を克服した」と豪語できるような状態に至るのは、きちんと目的を見定めなおしたことが大きかったのだと、強く思っています。

 

 

繰り返します。私は現在、離人症が治ったか治ってないのかでいうと、治ったというしかないほどに離人感が気になっていないのです。

 

 

上で、「離人感や現実感消失は完全には消えていない」と言いましたが、実際、全く今は「自分が幸せに生きて行く上で問題になっていない」のです。

 

 

正直なところ、離人感が今もあの悩んでいた頃と同じ程度にあるのかないのか、あまりもうよくわかりません。

 

 

今でも私自身、離人感が強まることもあると言えばありますが、一般の方でも、寝不足の時に離人感を体験することなどはあるらしい(下記)ので、普通のことだろう、といった感じです。

 

一時的な離人感や現実感消失はよくみられる症状です。約4分の1の人が、生涯に少なくとも一度は、自己(離人感)または外界(現実感消失)から切り離されているような感覚を経験します。

離人感/現実感消失症 – 10. 心の健康問題 – MSDマニュアル家庭版

 

くどいようですが、私は、離人感のことを全く思い出さずに1年を過ごすこともあるようにもなっているのです。

 

 

 

私のここにつづる考え方が、好きではない方、自分には合わないと思う方もいると思います。

 

 

・「私もそんなことは解っている。同じように考えようとしてみた。だがダメだった」

・「私の離人感の酷さは、あなたには決してわからない。これが消えうせなければ他に何を考えることもできない」

・「あなたは解ったつもりになっているかもしれないが、それは別物だ。私が経験していることは、あなたには決して解らない」

 

少なくとも、かつての離人症に悩み苦しんでいたころの私は、このように友人に返答しました。

 

 

「楽しく暮らせればなんでもいいんだから、離人症とやらが治るのはあきらめて、それと付き合ったらいいじゃないか」

 

幸いなことに話を打ち明けられる友人も複数いたので、上のようなことを言ってくれる人は実は私の場合、早くから周りにいたのです。

 

 

にもかかわらず、「それは不可能」と長く思っていました

 

 

なぜなら、離人感が強すぎて、楽しいことが楽しく感じられず、むしろすべてが苦しく、不快感の中で生活しているのです。

 

「明るく考えろ」みたいなことを急に言われても、無理に決まっている。

 

 

「結局、普通の健全な奴らには解らないのだ・・・」

 

これが私の中にいつもあった正直な思いでした。

 

 

 

ところが、後でもう少し詳しく触れますが、結局は友人たちが言ってくれていた通りに

 

「幸せになりさえすれば、離人感があってもいいじゃん?離人症でも楽しく生きれればなんでもありなのでは?」

 

と、自分で開き直って思い始めたところから全てが好転し、結果、離人症で悩むことから解放された幸せな人生に変わって行ったのです。

 

 

なので、私がここで綴ることが、離人感で苦しむあなたからは「そんな簡単なことじゃない」と思われることは解っているつもりです。

 

 

ですが、強調させてください。

 

「離人感が原因で悩んでいた人が、もう悩んでいない。むしろ楽しく生きている」という事例がちゃんとあるということです。

 

 

この私は、ここに綴ったような経験、考え方のもと、離人症が治ったと思っているのです。

 

 

あなたも私と同じような経緯で、あるいはまったく別な気付きや経験を通じて、悩み苦しまずに「毎日が幸せ」と思えるような日常を手に入れる可能性は十分にある、ということは忘れないで頂きたいです。

 

 

離人症の克服に役立った考え方

 

 

では、具体的に、どうやって私は離人症を克服したのでしょうか?

 

 

既に申し上げたことですが、私にとっての克服した状態というのは、「離人感が気にならなくなった」ということです。

 

 

ですので

 

どのように、離人感を気にしなくても済むようになったのか?ということについて書いていきます。

 

 

結論から言うと

 

・「離人感があっても良いじゃないか」と、認める

 

・「離人感をむしろ利用して生きよう」と、あえて武器にする

 

この2つの考え方を手に入れ、実践し始めたことがとても大きかったです。

 

 

その結果として、離人感で悩むことから解放されたわけです。

 

 

 

 

きっかけは、20歳の頃のとある夜、とある友人に対して、それまで彼には話題にしたことのなかった自分のこの悩みを、思い切って打ち明けてみたことでした。

 

 

自分にはこんな病的な感覚があり、だから自分は幸せではない、幸せになれないように感じている、と。

 

そうすると、やっぱりその友人も、「その離人症とやらが、あろうとなかろうと、どっちでもいいじゃないか。そんなにもがいても消えないなら、その離人感とやらがあるのが当たり前だと思って、開き直って生きたら良いじゃないか」と言ってくれました。

 

 

前述の通り、これ以前にも、似たようなことを言ってくれる友人はいたのですが、この時の友人が数時間にもわたって強調してくれた時に初めて、「そうか、結局そんなものなのかもしれない」と、ほんの少しだけ、開き直ろうと思う気持ちが芽生えました。

 

希望の光が新しく見えた、というよりはむしろ

 

・さすがにそろそろ他に希望は無いかも。

 

・こういう風に開き直って生きるしかないのかもしれない・・・

 

 

という、なんだかあきらめに似た気持ちだったような気もします。

 

 

 

 

 

 

とはいえ、実際に開き直って生きようと強く思ったことはそれまでありませんでしたし、「離人感があるのが当たり前」そんな風に思って生きて行くことが可能なのかどうか、この時にはまだよくわかっていませんでした。

 

 

その友人と話した夜が明け、朝日を見に一人で外出した私は、太陽のまぶしさと、変わらない離人感と、しかしなんとなく「まぁ、このまま生きて行くっていうのも、もしかしたら全くナシではないのかもしれない」と、離人感と共生するという選択肢を初めて能動的に受け入れたことを覚えています。

 

 

ですから、「離人感は治らないのだから、これから一生一緒に生きて行くものだと開き直って認めてしまう」ことは、重要だと思います。

 

あきらめる、という言い方でも良いのだと思います。

 

 

大切なことは、「もう治らないと覚悟をする」ということであったようにも思います。

 

当時の私は、離人感が、離人症が治りさえすれば幸せになれるはずで、治らない限り、楽しい人生など自分にはあり得ないと思っていました。

 

治る=幸せ

治らない=不幸せ

 

という構図が、ずっと頭の中にあったのです。

 

だからこそ、治さないとならない、離人感は消滅せしめなければならない緊急かつ最大の課題、といつも思っていたのです。

 

でも、「治らなくてもいいじゃないか」と強く言ってもらえて、なにより自分自身がそれを「もしかしたらそういうものかもしれない」と思えたことが大きかったのです。

 

 

そもそも、身も蓋もないようなことをあえて言うようですが、実際に離人症が死ぬまで治らないということは、あり得ることです。

 

ということは、「離人症が治らない」ことは自分にとって真実かもしれないわけで、「離人症が治らないかもしれない」ことは真実です

 

「起こるかもしれないと自分が思ってしまっている最悪なことについて、ただただ目を背けて考えないようにする」というのは、むしろその恐怖について、いつも無意識に認めてやって、エサを毎日与え続けるような状態になっていたのかもしれない、と、私は今になって思います。

 

 

恐怖を見ないように見ないようにするのではなく、反対に最悪な事態が起こってしまうかもしれないと覚悟した上で、それが起こったとしても幸せになり得るのではないか=「離人症が治らなくても幸せ」はあり得るかもしれない、と思って日常を送り始めてから、私の場合、心境に大きな変化が生まれていきました。

 

 

そして、「自分は離人症のせいで不幸だ」と思わなくなるまでに、そう時間はかからなかったようで、当時の自分の文章を読む限り、3~6ヵ月後には、既にある程度、開き直った様子がうかがえます。

 

 

 

 

 

そもそも私としては、離人感が無い「通常のあるべき状態」というのは、幼少期や小学校の頃などの、とてもリアルでたくさんの感動にあふれた現実のことであると思っていた節があり、ちょっと期待し過ぎだったと思います。

 

「自分は精神病で、頭がおかしいから、あのリアルな感覚を失ってしまった。」

「あの感覚を取り戻したいのに、このイカれてしまった自分には難しい。」

「あぁ、早くこの離人感を取り除いて、離人症を治して、もとのあのリアルな現実を取り戻したい!」

 

このように考えていました。

 

ところが、今、幸せだと思って「治った」とまがりなり(?)にも解釈している現在の私としては、「いや、そんな幼少期のような感覚はもう戻らないのが当たり前でしょ」と、少々ドライに思っています

 

子供の頃に体験した感動が、大人になっても全く同じようにリアルな臨場感を伴っていつも体験できる人など、精神がいわゆる健全な方でも、実は1人もいないのではないでしょうか?わかりませんが。

 

一般に、同じような出来事が多くあれば、慣れてしまいますし、飽きてしまいますし、感動は薄れるものですよね。

 

 

なのでとにかく、

離人感が強い = 自分は不幸

 

という構図を、自分の中で崩して

 

離人感は強いが幸せ

 

これがあり得るのだと思えることは重要なのでしょう。

 

 

 

離人症が治って、離人感が簡単にケロッといつか消え去るのならそれは素晴らしいことでしょうが

そんなに簡単に治りそうもないから、当時の私は苦しんでいたのです。

 

だからこそ逆に、期待を捨て、決してもう治らないものだと思って覚悟を決める、これが本当に重要だったのだと思います。

 

 

 

 

 

そして私の場合、覚悟を決めてあきらめてしまったあとでも、楽しいと思える時間はあり、そういう時間を少しずつ、大切にしていった結果、治って行った、気にしないでいられる時間が徐々に長くなっていった、という印象です。

 

 

「離人感は消えないものだし、だから幸せっていうのがそもそもこの程度のものなんだ」と、現実に対してよりドライに向き合えるようになり、期待が大きくない分、幸せの享受もスムーズになり、治っていった・・・。

 

 

 

 

「離人感があっても良いじゃないか」と、認める とは、私にとってはこのようなことでした。

 

 

 

少なくともこのような解釈をし始めたことで、結果的に救われたと思っている私のような人がここにいます。

 

ですので、私を救ったこの解釈があなたにとっても重要な可能性がある、ということは覚えておいて頂きたいです。

 

 

そして少しでももし、あらためてそういった解釈を始めることができそうなのであれば、そのことをいつも忘れないように気を付けながら、自分の解釈の変化を意識してみると良いと思います。

 

 

 

少しでも「離人感がある状態 = アリ」があなたにとっても受け入れられるのであれば、次は、私の離人症の克服にとってもう1つ、とても大きかったこと

 

・「離人感をむしろ利用して生きよう」と、武器にする

 

こちらについても、是非、試してみて頂きたいです。

 

 

 

このお話をさせて頂くためにも、次はあえて、離人感、現実感消失の良い面、メリットについて焦点をあてたいと思います。

 

 

離人感のメリットと利用方法

 

離人感は治らないものだと覚悟したうえで、楽しく生きれば良いのだ。

そう決意した私が、すぐに「治った」と言える状態になれたわけではありません。

 

ただ、「離人感を利用している」としか思えない芸能人の存在を知った時には、正直なところ感動し、勇気をもらうことができました

 

「え!!それってアリなの!?」と、びっくりしたことを覚えています。

 

離人感のメリットを直接述べる前に、離人感/現実感消失の状態には、次のような特徴があることを、繰り返しになりますが引用させて下さい。

 

自分の精神、精神、感情、感覚などから自分が切り離されているような感じがします。

外界(人、物、あらゆること)から切り離されているように感じられ、外界のことが現実ではないように思えます。

離人感/現実感消失症 – 10. 心の健康問題 – MSDマニュアル家庭版

 

一つの解釈としては、客観的に自分を見る状態が作られる、ということです。

 

 

では、離人症の症状のうちのネガティブな部分を全て脇に置いたとして、この「客観的に自分を見る」ということ、これだけについて考えてみた場合、これは全くメリットの無いことでしょうか?

 

 

 

 

もちろん、これは、必ずしも悪いことではありませんよね。

 

 

むしろ、客観的に自分を見ることができる というのは社会で過ごす上で大切な能力として言われていることは、周知の通りかと思います。

 

実際に、

「客観的に自分を見る方法」

「客観視 メリット」

などのワードでネット上で検索してみると、次のような記事がたくさんでてきます。

自分自身を客観視する能力のことを、「メタ認知」といいます。
脳科学者の茂木健一郎氏は「自分の限界を超えて大きなことを成し遂げられる人は、ほぼ例外なくメタ認知能力が高い」といいます。
自分を客観視することがストレスをためないコツ

自分を客観視することで改善点を把握し、自由意志の力をもって自己改善に努めることができ、自分を人生を、変えていけるようです。

主観的すぎると、自分の殻に閉じこもってしまうことになります。

自分の良い所悪い所、得手不得手が分かるので、物事の判断や行動を最短距離で無駄なく運ぶことが出来る

集団の中での自分が他人から期待される役割をすばやく察知し実践することができると思います。

以上5点:

 

調べてみると、「客観的に自分を見る=良いこと」 ということばかりが強調されているのです。

 

 

あらためて言われると、「客観的に自分を見る=良いこと」というのは「まぁそりゃそうだけど」と言う感じの、当たり前のことというイメージではないでしょうか?

 

 

そうなのです、「自分の精神、感覚などから自分が切り離されているような感じがして、外界(人、物、あらゆること)から切り離されているように感じられ、外界のことが現実ではないように思える」という離人症の症状は

 

自分を客観視してしまう、物事を客観視しやすいという良い特徴を持つのです

 

 

これは、とてもラッキーなことです。

 

自分が悩むことになった精神的な問題に、これほどの良い側面がある、ということは、むしろ幸運なことと言えるのではないでしょうか?

 

 

 

「いや、私の場合はそんなことはない。単に現実感が無くて気分が悪いだけで、むしろ理性的に客観視などできる状態とはかけ離れている」

という方もいるかもしれません。

 

 

鬱状態などが同時にある場合には、そもそも簡単に切り分けて考えることなどできないのが普通でしょうし、簡単な話ではないことは解っているつもりです。

 

私自身、自分のパフォーマンスを妨害するものでしかない、と長く思っていたのですから。

 

 

 

 

ところが、実際に「離人症はもう治らない。俺は一生、離人感と付き合っていくのだ。」と開き直って認めてからは、

 

「むしろ離人感にもメリットがある」「武器にもなり得る」という考え方についても、受け入れられるようになっていきました。

 

 

 

 

それまでは離人感が主で、私がそれにいつも気分を悪くさせられている、という関係だったのが逆転し、私が主として、私のやりたいことに対して離人感を利用する、という形になったのです。

 

例えば、他人との会話の中で楽しく笑っているような時にも冷めている自分がいるのであれば、別のことを考える余裕が、人よりも余計にあるという風に良く解釈するようになりました。

 

他にも、本音だろうと本音じゃなかろうと、自分は演技がうまいのだ、うまくなり続けているのだ、という解釈であったりと、とにかくプラスな面を意識できるようになっていきました。

 

 

 

もちろん、思った瞬間にもう180度世界が変わって最高にハッピーになりました、ということではありません。

 

徐々に徐々に、そういう風に明るく前向きに離人感と向き合えるようになる時間が日常に増えていき、結果的に、気付くと、悩みなどではまったくない状態になっていた、ということです。

 

 

 

ですので私のケースでは、順番として

 

1.離人感を認める

2.離人感を利用しようとする

 

という流れで、離人症の克服が進んだ、という理解です。

 

 

まずは離人感を

・消え去らないものだと覚悟を決める

・いつか治るのでは?という甘い期待を捨てる

 

これをできてから初めて、離人感を利用する、などという選択肢が自分の中に生まれると思いますので、何はともあれ、まずは自分の中で「離人感の存在を認め、一緒に生きるのだ」と決意するところから全てが始まるのだということは、くどいようですが繰り返し強調させてください。

 

 

 

 

さて、「離人感を利用している」としか思えなかった芸能人とは具体的に誰で、どのように武器として離人感を利用していた(ように私には思えた)のでしょうか?

 

 

それは、北野武(ビートたけし)さんと、ダウンタウンの松本人志さんでした。

 

 

偶然にお二方の著書を読む機会があり、彼らの感覚の中に、私が嘆いていたような離人症の症状と似たようなものがあるように理解しました。

離人感を認め初めて数か月の時点でしたので、タイミングも良かったのだと思います。

 

 

 

書いてあったこととしては、

 

・どんな時にも、客観的に自分やその場を見ていつも冷めている自分がいる。

 

・その客観的な自分が、良い閃きを与えてくれる

・その冷めた客観的に見ているところからこそ、良い発想ができる

 

とか、そんなようなニュアンスだったと思います。

 

 

 

私が良い影響を受けたのは、「結局、解釈次第で、俺もこのすごい方々も同じなんじゃないか?」と思えたからだと思います。

 

TVで活躍しているすごい方々にも、実は自分と似たような感覚があって、しかもそれを悩むのではなく、利用し、しかも芸能人として社会的に成功しているということに、とても勇気をもらえました。

 

「よし俺も、離人感が気になったら、あえてそいつを利用して生きてやる」と、昔の自分であればあり得ないことを思い始めるきっかけを頂くことができました。

 

勝手な間違った解釈だったかもしれませんが、私としてはとても感謝しています。

 

 

 

もしあなたも、離人感を認めることができるようになり始めた後には、是非、より能動的に、「離人感による客観視を、むしろ自分の武器にしてやろう」と、試験的にでもかまいませんので、思うタイミングを日常に持つように心がけてみてください。

 

少しずつ、良い方向に変わって行く可能性があります。

 

 

 

 

もっと根本的な心の問題

 

ここまでお読みいただき感謝いたします。

単なる一個人の体験談、精神論に過ぎませんが、当時、毎日悩んでいた中学生、高校生の頃の私がもし、上のような文章をネット上で発見することができていれば、もう少し違った形で青春時代を過ごせたのかもしれない、と思っています。

少なくとも、読んでくれた方が前向きに希望を持って離人症と向き合うきっかけにして頂くことができれば、私としては、この上ない幸せです。

 

 

 

 

 

ちなみに、「離人症が治り始めた」私はこの後、順風満帆に幸せ街道まっしぐらどころか、現実は全く違いました

 

離人感があることに関して悩むことは無くなりましたが、結局、毎日毎日、別なことで悩み、落ち込む日々を送ります

 

 

 

 

 

 

え・・・ダメじゃん!

 

 

 

 

という感じなのですが、本当にダメだったのです(笑)

 

 

 

 

私の場合、実はもっと根本的な問題があったため、この解決のためにもうしばらく悩み苦しむことが多い年月を重ねることになります。

 

 

一言で言いますとそれは、悪い思い癖(おもいぐせ)のせいでした。

 

 

クセのついていた考え方や、物事の受け止め方が、常に自己否定的だったりと、自分が自動的に思ってしまう内容に、デメリットの多いことがとても多かったのです。

 

 

 

それが変わって、ほぼ何が起こっても良い受け止め方をするクセが付いた、悪い思い癖が減って、良い思い癖が極端に増えたので、今はあの頃の悩む毎日とは全然違うのだと思います。

 

 

離人症があろうがなかろうが、何があっても「自分はダメだ!」と思う癖がついてしまっていては、幸せになりにくいのは、誰にとっても当然と言えば当然のことではないでしょうか?

 

 

「離人感を認める」、「離人感を武器にする」ということは本記事で述べさせて頂いておりますように、読んで下さっている方の離人症の克服にとってとても意味のある可能性はあると本気で思っていますので、是非おすすめしたいという思いに変わりはありません。私自身、「離人感があるから不幸」と思い込んでいる状態のままでは、他のあらゆる思い癖の改善はスタートしなかっただろうと思っています。

 

 

ただその上で、離人感がなくなって、例えリアリティが増えたところで、いつも自分が、自分の気分を悪くするようなことを自動的に思ってしまうクセが強ければ、離人症とは関係なく、悩み苦しみ人生を続ける可能性はあるでしょう。

 

だからこそ、この思い癖の改善によってこそ、離人感が強いままであろうがなかろうが、もっと根本的なところで心の悩みが解決され、結果的に、気分よく過ごせる毎日が圧倒的に多くなる可能性があるのではないか、と思っています。

 

→別記事 「良い【思い癖】の増やし方。ありのままの自分を大切にするクセ、等身大の自分を愛す重要さ」(執筆中)

 

▲目次にもどる






↑広告↓





 - 心の中